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「おいしく」あり続けるために木村屋總本店がしていること。

2023/11/28[Tue]

文明開化まで主食といえばご飯だった日本。欧米から主食として持ち込まれたパンを日本人好みに作り変えるだけでなく、あんを入れ、“お菓子”にしたのは木村屋初代の木村安兵衛でした。当時の常識を打破する考えから生まれた「酒種桜あんぱん」は、明治8年に明治天皇にも献上され、全国的な存在に。以降、関東大震災や幾多の戦争、生活様式の激変を経ても木村屋總本店は在り続けています。7代目の木村光伯さんにお話を伺いました。

木村光伯(きむら・みつのり)
1978年東京都生まれ。学習院大学在学中より木村屋總本店のパン工場でアルバイトを開始。卒業後は家業である、木村屋總本店に入社。専門学校や米国留学で本格的にパン作りを学ぶ。製造現場の他に、開発や販売の仕事にも従事し、2005年に取締役、2006年に常務取締役、その後7代目社長に就任する。

――東京に現存する唯一の老舗パン店であり、全国各地に「木村屋」の名前を持つパン屋さんもあります。創業から150年以上、日本人のパン食文化をリードしてきた木村家では、考え方や企業としての在り方をどのように受け継いできたのでしょうか。

それが、特になく、私自身も意識したことはないんです。私の実家の近くに、祖父母宅があったのですが、親戚が集まって食事をするときに、歴史や総祖父母の思い出などを話が出ていたことは覚えています。お墓参りなども全員揃っていくことも多く、先祖が自然に身近な存在だったかもしれません。
資料となる文書も関東大震災と空襲で焼失してしまいました。周囲の大人たちの言葉で、“在り方”のようなものは、体で感じていたと思います。ですから、気が付けばパンを仕事にしていたのでしょうね。

直営店がある銀座にも幼いころから親しんでいました。銀座は商業施設やブランドのフラッグシップショップが目立ちますが、個人商店の集まりという側面もあります。
よく知られているのは、銀座のフリーペーパー『銀座百点』を発行している「銀座百店会」でしょう。この団体が設立された1954(昭和29)年から、私たちも加盟していますが、江戸、明治、大正とずっと銀座で商売をしているお店も多いんですよ。皆さま、それぞれの歴史と物語をそれぞれの形で引き継いでいます。
みんなで銀座の街を盛り上げ、お客様に足を運んでいただけるように、手弁当でさまざまなイベントを行ってきました。最近では「銀座涼風計画」(打ち水)イベントが注目されています。
銀座は、私が幼い頃から、さまざまな催しが行われていました。記憶に残っているのは、中央通りのパレードです。電飾を付けた山車が行き交う様子を、3階のレストランから眺めていた記憶があります。

有明本社の社長室にて。

――歩行者天国も銀座から全国に広まりました。世界的なハンバーガーチェーンをはじめ、一号店を銀座に構える企業は多いです。新しいもの好きな銀座の街で、看板を掲げ続けることは並大抵のことではないようにも感じます。

そうなんですよね。でも、「革新的なことをしよう」と気負ったこともないのです。祖父や父から言われたことは、「質とおいしさを追求し続けること」です。
私たちにとって、肝心なのはパン屋であること。そして、明治時代から変わらないレシピと製法で作っているあんぱんの味を守り続けること。
1869年の創業当時、日本でパンは珍しい存在でした。どうすればパンが選ばれるのか、試行錯誤を重ねた初代は、イーストやホップでも試してみたそうなのですが、うまくいかなかった。でも、その過程で、麹に出会い、目を付けます。麹は日本人になじみが深く、嗜好に合うと確信し、酒種発酵種を開発しました。
米と麴と水から作る酒種を使用したパンは、木村屋独自のもの。麹ならではの風味、しっとりとなめらかな食感、奥深い味わいが特徴です。多くの人々に「パンはおいしい」と受け入れていただき、やがて主食としてパンも選ばれるようになっていったのです。

木村屋總本店のパンの特徴は、酒種を使用していること。工場の入口にある「酒種室」には、代表と酒種師のみが入室できる。

パンを作り、販売するのは職人さんです。人を育てることが、質とおいしさを追求し続けることです。これは、私が現場で働いてから強くなり続けている思いです。
機械化もしていますが、味の決め手になる部分は人の手と感覚が欠かせません。今も職人さんたちは、季節や湿度だけでなく、製粉されてから経過した時間なども勘案して、パン作りをしています。
私が現場に入った頃は、いわゆる“昭和式”の指導でしたので、技を見て覚えていたのですが、それでは時間もかかりますし、根気も必要です。
現在は、そういった人の感覚によるものを、季節ごとにデータ化して蓄積し、分析していますが、やはり人の手による部分は大きい。データ化、機械の改良とともに、人を育て、パンを世の中に広めていくことに力を入れています。

酒種パンの様子を見る木村さん。生地を寝かせている部屋に入室すると、麹が発酵過程で出す甘い栗のような香りが立つ。
発酵時間に伴う変化を可視化し、データとして蓄積するために、生地をシリンダーに入れて経過を観察。

――味を維持するために行っていることはなんでしょうか。

それは毎日食べ続けることです。毎朝、必ず「その日に焼いた最初の1個」を食べ続けています。そこで、火の入り方、発酵の状態、香りの立ち方などの変化を感じます。
基本的に変わることはないのですが、あずきや小麦など原料が変わったときに。それを感じることもあります。やはり、農作物ですから、生産地の気候や品種改良などで味が変わることもあります。その影響が出ないように調整をします。
銀座の直営店のあんぱんも同様です。銀座本店はこの有明工場ではなく、店内で焼いております。毎日お求めになるお客様もいらっしゃいますし、「祖母が好きだったんです」「幼い頃に両親に買ってもらっていました」というご年配の方もいらっしゃいます。
私たちは、あんぱんだけでなく、ジャムパンも日本で最初に作っています。このジャムパンを代々召し上がってくださるお客様も多いです。
販売員をしていた新人の頃、年配のお客様から「木村屋のジャムパンの中に入っているのは、イチゴではなくアンズなのよ。あなたは若いから気付かないかもしれないけれど、覚えておいた方がいいわよ」とお話をいただいたこともありました(笑)。
この女性は、お母様からそのことを聞いたそうです。ほかにもこのような物語は、たくさんあります。それに触れるたびに、“木村屋ブランド”というのは、それぞれの家庭により、形が違い、それぞれのご家庭の歴史の一部になっていると襟を正してきました。
これからもそういう存在であり続けるために、技と味、そして企業としての“在り方”を磨き続けていきたいと考えています。

【後編に続きます】
9/24(土)公開予定